表現者と鑑賞者が互いに作用し合うこと

by 田中啓介 / Keisuke Tanaka

先週の日曜日はチェンナイ日本人会主催の夏祭り

300人を超える人の前でバンド演奏するという

とても貴重な経験をすることができました。

何度も練習してきたバンドメンバーと

応援してくれた人、盛り上げてくれた人、

みんながひとつになれたようなそんな感覚。。。

やっぱり音楽っていい!

 

少し話は変わりますが、今から10年以上も前

スペインのバルセロナにあるカタルーニャ音楽堂でクラシックを聴いたことがあります。

当時、クラシックの「ク」の字も知らなかった私が、

世界遺産であるカタルーニャ音楽堂でクラシックの生演奏が聴けるのなら、ということで

スペインひとり旅の途中に立ち寄ったんです。

この演奏がとにかく素晴らしかった。

言葉にならず、ただひたすらに聴き入っていました。

心を揺さぶられたような感覚を今でもカラダが覚えています。

「音楽を聴いて感動する」とはこういうことなのか、と

このときはじめてそう思ったのでした。

 

今から5年ほど前

アメリカのシカゴの街を歩いていたときに今までにない感動を覚えたことがあります。

真っ黒い巨大なビルの目の前に、真っ赤な巨大なオブジェ

しばらく立ち尽くしてしまいました。

ミース・ファンデル・ローエ設計の『連邦政府センタービル』と

アレクサンダー・カルダー作のオブジェ『フラミンゴ』

高層ビルに囲まれた空間の中に、自分が吸い込まれていくような感覚

人間のスケール感ではとうてい捉えきれない小宇宙

どうしようもなく、ボーっと眺めていました。

 

芸術とは?

「表現者と鑑賞者が互いに作用し合うことで、

精神的・感覚的な変動を得ようとする活動」(ウィキペディア)

 

音楽を聴くとき

絵画を観るとき

たとえば、オブジェを観るとき

優れた芸術作品と向き合ったときに、何も言葉が出てこないときがあります。

この曲の、この絵画の、このオブジェの、どこがどういいのかがわからない

ただただ、言葉にならず立ち尽くしてしまうことがあります。

でも大学を卒業してから、この感覚がむしろ大切なんじゃないかと思うようになりました。

それまでは「なにこれ?意味わかんないし、、、」と受け入れようとしませんでしたが

でも、意味を知る必要も、理解する必要もない

わからないという状態をそのまま無防備に受け入れる

その作品に身をゆだねてみる

耳をすましてみる

目をつむってみる

よく眺めてみる

遠くから見てみる

近くから見てみる

時間をかけてみる

自分に共鳴してくるものがないかをじっと待つ

優れた芸術作品を前にして言葉が出てこないのは、

それが自分にとって「虚無」なのではなく、

まだ表出していない「感動」なんだと考えるようになりました。

そこには、無防備な人間だけが得ることを許された感動があるのかもしれない

そう考えるようになりました。

 

最後に、脳科学者である茂木健一郎さんの著書『すべては音楽から生まれる』から

好きな一説を紹介します。

 

(以下抜粋)

「人間は、生きていく上で様々な事態に出逢う。

時には困難と向き合わなければならない。

だが、絶対的な座標軸-たとえば「喜びや美の基準」といったものさし-が

自分の中にあれば、日々の難事や苦しみは、ずいぶんとやわらぐものである。

「美しい」「嬉しい」「悲しい」「楽しい」・・・

一瞬一瞬に生身の体で感動することによって

人は、自己の価値基準を生み出し、現実を現実として自分のものにできるのである。

それが「生きる」ということである。

だからこそ、本当の感動を知っている人は、強い。

生きていく上で、迷わない。揺るがない。折れない。くじけない。

音楽はそんな座標軸になり得る。

音楽の最上のものを知っているということは、

他のなにものにも代えがたい強い基盤を自分に与えてくれるのだ。」

 

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