スリランカの新大統領誕生が示すもの

by 池田篤史

2024年9月に行われたスリランカの総選挙では、マルクス主義者と言われる左派候補のアヌラ・クマラ・ディサナヤケ氏が当選した。国会に3議席しか持たない政党の党首が当選したことは、世界のメディアで驚きを持って報じられた。ディサナヤケ新大統領はIMFから融資を受ける代わりに緊縮財政を受け入れるという従来の経済政策を見直し、増税や物価高に苦しむ国民の生活を改善することを公約に当選を果たした。しかし、総選挙の結果が歴史的にどのような意味を持っていたかについての指摘は少ない。そこで本稿は、新大統領の誕生は中国依存から脱却して、旧宗主国であるイギリスや西側諸国との関係改善を目指していることを主張する。

まず、スリランカはかつてはセイロン(島)と言われており、16世紀にポルトガルの植民地となった。その後、17世紀にはオランダがポルトガルに取って代わり、18世紀以降は1948年に独立するまでイギリスに150年近く支配されていた。このように当時の西洋列強がスリランカの領有を争っていた理由は、スリランカが東南アジアのマラッカ海峡に抜ける海上交通の要衝であったからである。ヨーロッパの情勢は、大陸国家であるフランスやドイツ、ロシアよりも、海洋国家であるイギリス、オランダ、ポルトガルが優勢であり、インド洋の覇権を争っていた三カ国にとってスリランカは食料や燃料の補給地として確保しなければならない拠点であったのである。独立後のスリランカは、仏教徒であるシンハラ人とヒンドゥー教徒であるタミル人による四半世紀に及ぶ内戦によって経済が疲弊したが、内戦終結後には高い経済成長率を記録するなど再建が進みつつあった。

スリランカが近年有名となったのは、中国による債務の罠の典型例として度々言及されるからである。南部に位置するハンバントタ港は中国からインフラ投資の融資を受けて建設されたが、無計画な融資が原因で施設が十分な利益を生むことができず、借金を返済できなくなった。最終的にスリランカは中国との合弁会社を設立して港湾を運営するようになり、実質的に中国にハンバントタ港を譲渡した形となっている。その後、新型コロナウイルスの流行によってスリランカは経済危機となり、観光業の低迷や慢性的な貿易赤字などが生じた。2022年5月に事実上の債務不履行の状態に陥り、2023年11月には日本などとの債務再編で基本合意したが、最大の債権国である中国は合意に含まれていない。このような状況が中国による債務の罠に嵌ったと言われているのである。

そのような政治経済状況の中、9月の総選挙では国会で僅か3議席しか持たない政党の党首であるディサナヤケ氏が大統領に選出された。ディサナヤケ氏が首相として指名したハリニ・アマラスリヤ氏は、イギリスのエジンバラ大学が博士号を取得しており、社会主義国であるスリランカの中にあって西側諸国と同じ民主的な価値観を共有している人物である。IMFから譲歩を引き出して、より柔軟な再建策に移行できるかは、スリランカにとっては国民の生活を守るうえで必須の課題なのである。それと同時にアジアにおける強大な大陸国家である中国に対抗するためには、かつては大英帝国として歴史上最も広範な領土を保有していた海洋国家であるイギリスとの関係を強化することは、今後のスリランカ外交が目指す目標である。

つまり、スリランカの新大統領誕生は、中国依存から脱却し、西側へと回帰しようとする方針転換を象徴している。振り返って東アジア情勢を鑑みると、日本もイギリスと同様に海洋国家であり、中国やロシアからすれば海上進出の障害となっている。スリランカの情勢は、イギリス、スリランカ、シンガポール、台湾などと日本を結ぶシーレーンが確保されるかの重要な局面であり、決して対岸の火事ではないことを日本人は肝に銘じなければならない。

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