現役インド外相による『インド外交の流儀』を専門家が斬る

by 池田篤史

インドの現外務大臣であるジャイシャンカル氏が上梓したThe India Way: Strategies for an Uncertain Worldが 2022年11月に邦訳出版された。最近インドがG20の議長国を務め、国名変更を模索するなど世界から注目を集めており、テレビ東京の豊島晋作氏がYoutubeで解説動画を流すなど、日本でも話題となっている。著作の中でジャイシャンカル氏は「インドは実利主義の中道路線を取ってきた」と主張している。しかし、インドは実際には西側の価値観を共有する国であり、中道言説はグローバルサウスの代表格を嘱望するインドのプロパガンダであることを明らかにする。

まず、インドは1858年から1947年にかけてイギリスによる直接支配を受けたことは周知の事実である。その間にインドの伝統的な村落社会が崩壊し、安価な工業製品の流入によって繊維産業などが壊滅的打撃を被ったことは、インドの知識人たちの間に欧米諸国あるいは白人に対する嫌悪感を現代まで抱かせている。しかし、植民地時代にもたらされた民主主義・自由主義・個人主義といった価値観は、例えば古代から続く階級制度であるカーストによる差別を是正し、独立運動を主導したマハトマ・ガンディーも宗主国であったイギリスに留学して西洋的価値観との対話から非暴力・不服従を初めとする思想を発展させた。西洋文化の恩恵を何よりも理解しているのはインド人自身に他ならず、ジャイシャンカル氏も指摘するようにインドの政治家たちは選挙において反欧米を掲げることは現代までしてこなかった。

しかし、独立後のインドは歴史的・文化的にはイギリスの強い影響下にあったものの、地政学的に中国やソ連などの国々と良好な関係を保つ必要があった。特にインドにとって懸案事項であったのは、隣国のイスラーム国家であるパキスタンとの度重なる戦争である。インドとパキスタンは英領時代には同じ国家であったが、独立の際にガンディーの努力も空しくヒンドゥー教のインドとイスラームのパキスタンに分離して独立した。インドがソ連に接近したのは、インドと国境紛争を抱えていた中国とパキスタンの連携に対抗するため、インドから見て両国の背後に広大な版図を持つソ連と協調する必要があったからである。

ジャイシャンカル氏はインドが「実利に基づく中道路線」を取ってきたことを主張し、それによってグローバルサウスの代表格としてのインドの地位を擁護しようとしている。しかし、実際にはインドの中道路線はかつてイギリスが「栄光ある孤立」を標榜して、他国との同盟関係を持たなかったことを意識している。そして当時のイギリスが「栄光ある孤立」を放棄して初めて同盟関係を築いたのが日本である。日本に駐在経験のあるジャイシャンカル氏の私見も含まれてはいるが、現代のインドもまた日本に期待し、接近しようとしているのである。ただし、イギリスが仮想敵として想定したのはロシア帝国であったが、インドが仮想敵として想定しているのは中国である。ジャイシャンカル氏が主張するインドの中道路線は、覇権を争う中国に対抗して、インドの国際的なプレゼンスを高めるためのプロパガンダという側面があると言える。

つまり、インドはイギリスによる植民地支配のナラティブから脱却しておらず、現在も西側諸国の価値観の強い影響下にあると言える。彼らが日本に親近感や尊敬の念を持っているのも、ジャイシャンカル氏の言うように旧日本軍がインドの独立運動を支援した史実もあるが、どちらかと言えば日本がアジアで最初に独自の近代国家を作り、西側諸国の仲間入りを果たした点が非常に評価されているのである。

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