1. はじめに
「忘れないで、すぐそばに君がいるいつの日も」、この歌詞を見てパッと何の曲かが分かる人はかなりのジブリ好きなのではないでしょうか。私は毎朝シャワーを浴びながら「猫の恩返し」のテーマソングである「風になる」を聞いています。
エンターテインメントの代表格である「映画」は、非現実を味わう、ストーリーとして人生観を学ぶには最適なコンテンツです。約2時間の映画製作に費やされる、時間・ヒト・お金は想像の遥か上をいく規模で、完成しても観てもらえるかの保証はありません。
しかし、その膨大な投資により創られた1つの映画が人々の感情にグサッと刺されば、時代を超えて愛され続ける超大作になります。
このように夢と希望に満ち溢れている映画産業ですが、世界一の製作本数を誇るインドでは、その影響が他の諸外国に比べて非常に大きいと考えられます。
では、世界の映画産業におけるインド映画はどのような立ち位置にあるのでしょうか。以下にまとめたので、見ていきましょう。
2. 世界におけるインドの映画産業
まず初めに、映画産業全体でどれほどの規模、かつ興行収入があるのでしょうか。米国の映画製作団体MPAが出した映画・映像業界レポート「THEME REPORT 2021」によると、2021年における世界規模の興行収入が約2兆7600万円だったことが分かっています。(*2)
2020年はCovid-19により多大なる損害を被っていた映画産業ですが、2021年~2023年にかけては順調な伸びを記録しています。実際に、公開が延期された映画として、日本人俳優の田代良徳さんが出演された「SUMO」という映画があります、この作品は延期されているにも関わらず、YouTubeの公開映像だけで800万再生という驚異的な数字を叩き出しました。まさに、Covid-19の被害を被ってしまったと作品であると言えるでしょう。
インドの映画産業においては、年間の映画製作本数が1000本以上に達しており、2位の中国や3位のアメリカを大きく引き離しています。この要因としては、低予算で制作されることが多い、200言語を超える多言語国家であること、など複数のことが考えられます。
2017年のUNESCOによる調査
順位 | 国名 | 本数 |
1 | インド | 1986 |
2 | 中国 | 874 |
3 | アメリカ | 660 |
しかし、映画の興行収入に限った話では、やはり、1位がハリウッドのある米国、2位が中国、3位が日本といった順で、インドは第6位に留まっています。
というのも、インドの映画館では一回の入場料が約200円と非常に安く設定されているため、1人当たりの売り上げ単価が米国や日本ほど高くありません。故に、年間延べ10億人以上の入場者数があったとしても、興行収入が少なくなってしまうのです。
また、現在ではネットフリックスやアマゾン・プライムなどの動画配信サービスが普及していることもあり、インド人が実際に映画館に足を運ぶ機会も減少しつつあります。市場データ会社Statistaの分析によると、Covid-19以前の2019年にインド国民の約12%だった動画配信サービス利用者は、2023年には約25%にまで増加しており、この比率は諸外国の利用者増加率と照らし合わせて見ると、2027年までに31%にも拡大すると見込まれています
私も現在インドに身を置いていますが、周りの友達と映画の話をしていても、やはり、例として挙げたような動画配信サービスを利用している場合がほとんどです。月々の料金も、インドにおけるスタンダードの登録であれば約800円とそれ程高くないので、様々な作品を無制限で見られるという魅力はかなり大きいでしょう。 (*3)
上記のように、映画が盛んな他の国々と比べて、かなり独特な立ち位置にあるインド映画ですが、より具体的にどのような特徴がインド映画には存在しているのか、また、インド映画の代名詞である「ボリウッド映画」や、その他の地域映画について、詳しく深掘っていきたいと思います。
3. インド映画の特徴
映画産業には、それぞれの国の文化や民族性から来る特徴がありますが、アメリカだと迫力のあるアクション映画、日本はサブカルチャーに見られるアニメーション映画、「アモーレの国」イタリアではラブストーリー映画、といった様子です。
では、インド映画の特徴として、どのような部分が他の国とは大きく異なるのでしょうか。私の見解で3つまとめたので見ていきましょう。
(1)地域によって異なるインド映画
まず一つ目の特徴が、インド国内で津々浦々に作られる各地域の言語を使用した映画です。個人的には、この特徴が他の国々と比べて最も異なる点ではないかと考えます。全国規模で通用する単一言語が無いインドでは、それぞれの地域に映画の製作拠点やスターが存在しています。
つまり、よく耳にする「ボリウッド映画」というのは、現在の北インドに位置するムンバイ発祥のヒンディー語映画だけを指しており、インド映画を総じて「ボリウッド映画」と呼んでいる訳ではありません。ボリウッドという言葉も、ムンバイの旧名称である「ボンベイ」と「ハリウッド」からの造語と言われています。
他の地域映画だと、チェンナイで制作されるコリウッド映画(タミル語)、ハイデラバードのトリウッド映画(テルグ語)、などがあります。地理的に見ると、以下のような区分けに分類されています。(*5)
これらの映画産業はお互いに影響し合い、その結果、インド映画は世界一の製作本数を誇るほどに成長してきました。また、近年では大型予算の映画による相互の吹き替えも、ますます増えて来ています。
以下の表は、日本でも有名なインド映画がどの地域で作られたかをまとめたものです。2010年のインドアカデミー賞を受賞した『きっと、うまくいく』、は私も小さい頃に見たことがありました。
インド映画の拠点と有名な作品
ボリウッド映画 | トリウッド映画 | コリウッド映画 |
ムンバイ | ハイデラバード | チェンナイ |
ヒンディー語 | テルグ語 | タミル語 |
『きっと、うまくいく』 | 『RRR』 | 『ムテュ
踊るマハラジャ』 |
インドの映画産業が世界一の製作本数を誇っているのは、このように地域別で特徴的な作品が作られているからだと考えられます。
(2)カースト制度による血統主義
2つ目の特徴は、昔のカースト制度の影響によって生まれた、映画を家業にする人々の血統主義です。現在では、インドの法律でカースト制度は無くなったとされていますが、やはり、人々の意識に根付いているものを排除するのは難しく、映画産業にもこのような考え方が残っていてもおかしくありません。
日本でも、歌舞伎のような伝統文化に関しては世襲といった襲名慣行が一般的です。個人的な意見としては、表舞台で活躍する業界であれば、世代を超えて一つの家系が伝統を受け継ぐというのは必ず起こり得るものだと思います。
インドでもそれは同じで、最も有名かつ由緒正しい映画カーストを挙げると、インド映画黎明期に活躍した初代プリトヴィーラージ・カプールから数えて4世代目のランビール・カプールが現在もムービースターとして君臨しています。
最前線で活躍するインド映画の俳優は半分以上が、映画カースト出身であることが分かっており、その中で実力派として伸し上がるのは非常に難しいです。ヒンディー語映画界の「3大カーン」の内、以下イメージの左側人物であるシャー・ルク・カーンだけは実力だけでボリウッド映画の大スターにまで上り詰めていますが、そこには大変な苦労があったことだと容易に予想できます。(*7)
参照元:クーリエ・ジャポンの2020年2月17日付記事 (*8)
このようにインド映画の特徴として血統主義が色濃く残っているのは確かですが、最近ではYouTubeやInstagram等出身のインフルエンサーが映画界で活躍するケースも増えてきています。
今後、カースト制度の意識がインド国内で薄くなっていけば、出生に拘らない、より洗練されたインドの映画業界が出来上がっていくのではないでしょうか。
(3)マサラ映画
3つ目の特徴としては、インドで人気の映画が「マサラ映画」であることが挙げられます。マサラ映画とは、アクション、コメディー、ロマンス、ドラマ、など様々なジャンルの要素を含んだ映画作品のことを言います。
語源としては、様々な香辛料を粉上にして混ぜたスパイスのことを「マサラ」と呼ぶことから、複数の要素を含むインド映画にも使われるようになりました。
豪華絢爛なミュージカル形式のダンスもインド映画の特徴ですが、これに関しても神話になぞられた演劇・歌・踊りがインドでは求められていたことが要因になっています。映画産業というのは、芸術であるのと同時に商業物であるため、よりインド人の国民性に合わせた内容に寄せる必要があったのです。(*9)
しかしながら、近年では煌びやかに歌って踊るだけではない、以前とは一味違ったインド映画が人気を博しています。代表的な例だと、「きっと、うまくいく」は笑って泣けるヒューマンコメディーとして成功を収めました。トレンドとして多様性のあるインド映画が人気になっている現在、世界中に受け入れられる作品が多く出てきているのは、インドの映画産業からするとポジティブな側面が大きいのではないかと私は考えます。
4. インド映画の社会と経済への影響
では、インド社会において映画産業はどれ程の影響力を持っているのでしょうか。日本企業がインドに進出した際の具体的な事例も用いながら、考察していこうと思います。
インドで初めて公開された映画は、独立前にダダ・サヘブ・ファルケ監督が製作したサイレント映画の「Raja Harishchandra」だと言われています。1940年代から1960年代にかけて、黄金時代だったインド映画は社会問題などを反映させることで、観客の共感を呼び起こし注目を集めました。(*10)
それから、数十年経った今でも庶民の娯楽としてインド映画の地位は落ちておらず、映画スターたちの動向が社会に対して大きな影響力を持っています。
例えば、映画スターの死亡デマが州全体で交通機関の停止を招いたり、誘拐事件によって州が混乱に陥ったりなど様々で、映画スターが政治家になって活躍することも良くある話です。(*11)
企業のインド進出事例を挙げるのであれば、2008年頃に東芝がインド国内で電化製品の販売に舵を切った時には、インドの映画界を代表するボリウッド女優「ビディヤ・バラン」をCMに起用しました。東芝は、インド国内の幅広い年齢層から人気があるビディヤ・バラン氏の洗練されたイメージが、インドにおける東芝のブランドイメージに相応しいと考え起用したと述べています。
当時の売り上げ目標としては、2015年までに10億ドルと言う目標を掲げていました。その後の詳細については、残念ながら明らかにはされていませんでしたが、アンバサダーとして国民的な人気女優にプロモーションを任せるというのは映画産業が盛んなインドにおいては、非常に効率的であると言えます。 (*12)
また、2020年にも東芝の高性能リチウムイオン二次電池であるSCiB(スキブ)のブランド広告として、「インドの社会課題を解決する東芝のソリューション」をテーマに、俳優であり映画監督のラフール・ボース氏を起用しました。SCiBは電気自動車のバッテリーとして使用される技術で東芝インドでも非常に成長が期待されている事業の一つです。
(*13)
このように、映画スターを起用して企業のマーケティングをするという方法は日本でもよく見られるかもしれませんが、インドにおいては映画文化が非常に浸透していることもあり、より一層人々の注目を集める起爆剤になります。
5. まとめ
これまでの内容で、インド映画の特徴と社会的な影響力を読者の皆様にお伝えすることはできたでしょうか。テレビの普及が他の先進国と比較して遅れていたインドでは、安い入場料で家族一緒に映画館へ赴くというのが娯楽の1つとして習慣化していました。
日本でも映画館でスクリーンに映った映画を観るという文化は昔から存在していましたが、時代の変化と共に、観るコンテンツがテレビに移り変わり、今では一人ひとりがスマホで動画配信サービスを利用するようになりました。
子供の頃、家族で食卓を囲みながら金曜ロードショーを楽しみにしていたのが今では懐かしい限りです。映画を観るデバイスという点では、非常に移り変わりが激しいですが、注目を集める作品というのは、一貫して「人々の感情を刺激する作品」です。
子供の時に観た感動的な映画は、大人になっても人生を豊かにしてくれる存在です。ただ、そのような作品を制作するには、今後インドの映画産業だけではなく、世界中のエンターテインメントが人々の価値観の変化に合わせて進化し、受け入れられる必要があります。私は、その時代変化を存分に楽しみながら、今日もジブリ作品を一つ観ようと思います。
※本記事の参考サイト一覧
(*1) Indian Cinema In 2020: Impact On Society – Women’s Republic (womensrepublic.net)
(*2) special_report_20230501_2.pdf (eastspring.co.jp)
(*3) 焦点:たそがれるボリウッド、コロナと動画配信で興行不振 | Reuters
(*4) The 9 Best Ways To Use Streaming Apps Without A Smart TV (slashgear.com)
(*5) Top 5 Film Industry in India 2022 (businessoutreach.in)
(*6) 言葉が変われば流儀も変わる!インド映画の多言語世界を探検しよう | 映画 | BANGER!!!(バンガー) 映画愛、爆発!!!
(*7) 特集:ハマる!インド映画│映画専門チャンネル「ムービープラス」 (movieplus.jp)
(*8) インド映画界に君臨しつづける「3大カーン」を知っていますか? | 国民の人気を三分する偉大なスター | クーリエ・ジャポン (courrier.jp)
(*9) Why is the Masala Film Genre so popular with Audiences of Indian Films? (filmdistrictindia.com)
(*10) INDIAN CINEMA AND ITS IMPACT ON SOCIETY – Track2Training
(*11) インドにおける映画と社会 (3).pdf
(*12) ニュースリリース (2008.4.15-2) | ニュース | 東芝 (global.toshiba)
(*13) インド向けブランド広告「SCiB™」篇 | 広告・展示会 | 東芝 (global.toshiba)