というお話は以前ブログに書きましたが
国語学者であった故・大野晋氏の著書
を友達が貸してくれました。
7,000キロも離れた日本とインドの長い歴史の中で
2,000年以上も昔からそこに存在したであろう「物」や「精神」を調査し
37年かけて日本語とタミル語の関連性を検証していく
その想像を絶する研究の全貌を理解するのは簡単ではありませんが、
タミル語が公用語である南インド・チェンナイに住む日本人として、
「日本語の起源はタミル語にある」という仮説には
時空を超えたどこかワクワクさせてくれるロマンがあります。
著書によると、日本語の同系語研究では
アイヌ語、朝鮮語、満州語、モンゴル語、トルコ語などが主流で、
インドはサンスクリット語系統の言語であるヒンドゥー語が主な公用語であるために
インドの言語は、長い間、研究対象にされてこなかったようです。
が、しかし、実は南インドにドラヴィダ語族という
別の語族があったことに気づいた日本人がその研究を始めたんだとか
その日本人のうちのひとりが大野晋氏だったというわけです
さて、この著書を簡単に紹介すると、
日本語の、特に「やまとことば」には、南インドから伝わったと考えられる言葉がたくさんある
というお話です。例えば、「マツル(祭る:mat-uru)」という言葉
以下、著書より抜粋
「日本語のマツルとは、「神に食物その他を差し上げてもてなし、交歓し、生産の豊かなこと、
生活の安穏、行路の安全などを求めること」」
「タミル語を見るとmat-uという動詞がある。その意味は「食べさせ、のませる」」
「名詞化するために接尾語-aiをつけてmat-aiとすると、
「神に捧げる食物」とある。ここから日本の祭りは展開した。
神に捧げ物をして気分をよくしてもらいたい、多くの恵みを得ることを願うのである。」
また、「ベツ(ベチ)・ナイ」がアイヌ語で「川」を意味するらしいのですが、
今別(イマベツ)、腹別(ハラベツ)、苫米地(トマベチ)、仁別(ニベツ)
平内(ヒラナイ)、洞内(ホラナイ)、笹内(ササナイ)、佐羽内(サバナイ)
その言葉を含む地名が、北海道、青森、岩手、秋田に多いことは
アイヌ人がそこに多く住んでいたことの証拠されているのと同じように、
「pul-am(プラム)」はタミル語で「村」を意味するのですが、
(実際、私の勤務先オフィスはR.A.Puram(アール・エー・プラム)という地域にあります。)
このpul-amに対応するfur-e(フレ:古文で「村」の意)という単語
この「フレ」を含む地名が、なぜか長崎県の壱岐島にだけ100以上もあることは
ここにタミル人が住んでいたことの証拠になるのではないか、というお話まで
それが本当なのかどうかはとりあえず置いといて、
チェンナイ生活をなぜか(笑?)前向きに楽しめているのも、
自分がなぜか南インドのチェンナイに住むことを選択したことも、
知られざる日本語とタミル語の特別なつながりから生まれた
ご縁のおかげなのではなかろうかと
そう感じさせてくれる本書には心から敬意を表したいと思います。