コロナ禍のアーユルヴェーダ~薬と酒のあいだ~

by 松岡佐知/Sachi Matsuoka

インドとお酒と聞いて、どのような印象をもたれるでしょうか?

ごうぞう
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今回は松岡佐知/SACHI MATSUOKAさんに「コロナ禍のアーユルヴェーダ:薬と酒のあいだ」というテーマでご執筆頂きました

ケーララ州の観光地のホテルやコーチなどの都市部では[BAR]というネオンが光る、ちょっと怪しい雰囲気のお酒を提供するお店があります。男性だけが出入りをしている様子で、実際に現地の女性で行った話は聞いたことがありません。外国人の多い場所では、そんなことはないと思います。

この他に、南インドには以前INDIA GO!の記事 「自然のお酒?トディ(Toddy)を飲んでみた」で紹介したようにトディ(Toddy)というココヤシの樹液を自然発酵させたヤシ酒(タミル・ナドゥ州ではパームワイン)を出すローカルなお店もあります。

こちらは家族連れで賑わう食堂のような雰囲気のお店があります。飲食店以外では、ケーララ州では政府直営店でのみ酒が販売されています。鉄格子のついたお店の小さなカウンター越しでのお酒のやりとりは、どこか罪悪感を含んだひそやかな交渉に見えます。

実際にそこで酒を手に入れた男性たちは、服の下に隠し、こそこそと家路を急ぎます。特に労働者階級の人々のあいだでは、飲酒が原因の犯罪や家庭内暴力が問題だと眉をひそめて語る人が多いです。

それでも、都市部の中産階級の間では、お正月のような行事の機会に親戚が集まって、上機嫌でお酒を飲んでいる様子は日本と変わらないように見えることがあります。ただし、お酒であることがわからないようにペットボトルに詰め替えてカモフラージュをし、家の奥の台所の片隅で男性だけで飲み会が催されていることを知人の家で何度も目撃しています。

この記事では、お酒はお酒でも、アーユルヴェーダの薬用酒について紹介します。

 

 

薬用酒の始まり

今から二千年以上前に書かれた世界最古のアーユルヴェーダの医学書『チャラカサンヒター』には、84種類の薬用酒とその効能が記載されています。

例えば、スラーというドブロクのような米酒は、ヴァータ(風)の体質の人(痩せ、母乳や血液の少ない人)、腸の病気などにも有効などです。バラモン教やヒンドゥー教の文献によると、酒は神様に捧げる「聖なる飲み物」ともされていました。

アーユルヴェーダにおける3つの体質(ドーシャ)

日本で唾液に含まれる酵素を利用した口噛み酒が嗜われていた弥生時代に、インドではクモノスカビから麹を作り、酒を過発酵させて作る酢の薬効まで記録されています。

伝統的治療師の薬作りの様子(2012年筆者撮影)

 

 

アーユルヴェーダのお酒

お酒という単語にすら眉をひそめる人が多いインドで、白昼堂々と取引されるのが薬用酒です。

私がパンチャカルマというアーユルヴェーダの解毒・浄化療法を入院して受けた時には、アショカ・アリシュタという黒っぽい甘みのある酒が処方されました。




インドの薬用酒はアルコール度数は7〜13%ほどの醸造酒で、植物に付着する酵母による発酵でつくられます。アサヴァとアリシュタの2種類があり、アサヴァは粉砕した薬草をそのまま、アリシュタは薬草を煎じた液を発酵させてつくります。

街中にあるアーユルヴェーダ薬局のどこでも、処方箋なしでこのような薬用酒は購入することができます。街中のアーユルヴェーダ薬局で販売されている薬用酒は、インドアーユルヴェーダ薬局方(The Ayurvedic Pharmacopoeia of India)やアーユルヴェーダ製剤の薬局方規格(Pharmacopoeial standards for Ayurvedic formulations)を元に大きなアーユルヴェーダ企業によって製造された工業製品です。

インドではアーユルヴェーダは大きな産業になっており、大小の製薬企業が数千とあって、ケーララ州のアーユルヴェーダ薬の年間の売り上げは500〜600億ルピーにもなります。漢方で葛根湯や小青竜湯などの複数の生薬の組み合わせによる決まった処方があるように、インド薬用酒も古典文献を参照して、決まった処方があります。前出のアショカ・アリシュタもその1つです。

この他に、自己免疫疾患や腎臓、泌尿器系の疾患に使われるチャンダン・アサヴァ、強心剤として使われるアルジュナ・アリシュタなどがあります。




ちなみに、日本の薬用酒はチンキ剤で、生薬をエタノールもしくはエタノールと精製水の混液に浸漬したものと日本薬局方に定められています。従って、梅酒作りを思い出してくれたらわかるように、日本で「薬用酒を作る」と表現することは加工することで、「醸造する」ことではないのです。

アーユルヴェーダ製薬企業が製造した薬用酒(2013年筆者撮影)

 

 

家庭の薬用酒

機械で大量に生産される工業製品とは別に、もちろん手作りの薬用酒もあります。ただし、日本と同様、酒の醸造はインドでも特別な免許が必要です。

医療制度ができる前から、古典に則った治療や生薬から薬を作り続けている無資格の伝統的治療師でも薬用酒の醸造は違法となったため、現在では製薬企業から購入しているそうです。

それでも、家庭内での薬用酒を作る営みは残っています。サフラン色の布をまとい、正式に出家はしていないものの僧侶のような暮らしをする友人ウーマに、生まれ育った実家でのアリシュタの作り方を聞いてみました。

左端の黄色の衣をまとっているのがウーマ。(2014年筆者撮影)

アリシュタの材料には、任意の薬草、糖分(多くはジャガリーというヤシ砂糖)と、ミソハギ科のダタキ(Woodfordia fruticosa)と呼ばれる植物の花を使います。

そして重要なのは、道具と熱源だそうです。多孔質の素焼きの壺を使うこと、そして加熱にはカマドの火を使うことがポイントです。当然、古典の書かれた時代には鉄鍋もガスコンロもありませんでした。

使う道具や加熱のされ方によって、その液体の性質は違ってくるので、そこにはこだわるところだと若い伝統的治療師の友人も言っていました。

ダタキは古くから、発酵を促進すると考えられていたものの、その原理は近年まで解明されていませんでした。2000年代に入ってからの研究で、乾燥した花芽から ピキア・アノマラ(Pichia anomala)という酵母が分離されました。

ダタキ(Dhataki) The Paradisus Londinensis, Hooker, W., Salisbury, R.A., 1805

この他、免疫力を高める作用のあるニンバ・アリシュタの薬効をダタキが増強することを示した論文もあります。煎じた薬草、ダタキ、糖分の全てを素焼きの壺に入れて、粘土状の蟻塚の土で封をして、土の中に蓋の部分より下を埋めます。この状態で、昼間の気温が30度前後のところで概ね21日後に完成します。

ウーマの家では、お父さんがグースベリー(アムラ、ネリカ)の実にフォークで穴をたくさんあけ、レーズン、クローブ、カルダモン、シナモン、黒胡椒、ジャガリーともに寝かして、アサヴァを作っていたそうです。




グースベリーは、スグリの仲間で南インドの街中ではよく目にします、ヴィタミンCや葉酸、鉄を豊富に含み、抗酸化作用が強いです。アーユルヴェーダの治療薬にもよく使われています。ウーマ家では、免疫力をあげる効果の期待できるこの自家製のグースベリー・アサヴァを風邪気味の時に20-30mlくらいを飲むそうです。家庭の味の薬というのがあるのですね。

グースベリー

 

 

コロナ禍と薬用酒

コロナ禍にあるインド、薬用酒の需要は増えたのでしょうか?

コロナ禍にあって、インド中央政府のAYUSH省は、アーユルヴェーダ治療を行うためのプロトコールを発表しました。その中では、咳や呼吸器疾患に用いられるヴァサ・アリシュタや血液浄化に用いられるアムリタ・アリシュタの使用が検討されています。

そして、The Hinduというインドの大手新聞の2020年4月21日の記事”Denied alcohol, many take to ‘arishtams’ and ‘asavams’“ではケーララ州中部にあるアーユルヴェーダ薬局では薬用酒の売り上げが30%増加したことを報じています。ただし、それは薬としての薬用酒ではなく、酒としての薬用酒への需要でした




3月25日からのインド全土封鎖期間中は、食料品、薬局、金融機関、インフラ部門、貨物輸送など以外は閉鎖されました。BARも酒屋も全て閉じた結果、アルコールを求める人々が、アーユルヴェーダの薬用酒を摂取していたという顛末でした。

通常は、一回の服用量として25ml程度が処方されます。それを一度に1本(500ml)服用すると健康被害が生じるため、医療目的以外では使用しないように、薬局や公的機関が警告を出しています

その翌月1日のThe Printの記事”It’s alcohol and it’s Ayurvedic — how Kerala drinkers are beating booze lockdown“では、この現象の理由の1つとして、これにはソーシャルメディア(SNS)の影響があるとしています。インド人のあいだでは「アリシュタが酒への欲求を満たしてくれる。」という情報が飛び交っていたそうです。

日常に紛れていた薬である酒の存在に気づいてしまった人たち、薬用酒は薬なのか、酒なのか、どちらでもあるというのが答えなのでしょう。

ごうぞう
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ディープな「インドのリアル」が垣間見えました!今回の記事の参考文献は、こちらです。ご興味がある方は是非読んで見て下さいね!

参考文献

  • 松岡佐知インドの、医療農藝ンド』(あらたま農藝舎, 2017)
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