2023年秋にパレスチナを実効支配するハマスがイスラエルに攻撃を開始した。インドがイスラエルを支持している理由としては、覇権をめぐる米国と中国、中東におけるサウジアラビアとイランの対立、隣国パキスタンとの関係などが指摘されているが、インド国内の歴史的な視点からの考察はない。そこで本稿では、インドには古代からユダヤ人が居住していたので、パレスチナ問題においてはイスラエルを支持していることを明らかにする。
インドにユダヤ人がやってきたのは紀元前にまで遡る。彼らはイスラエルにあったエルサレム神殿の崩壊後に移住してきたとされ、インド南部にあるケララ州のコーチンに住むコミュニティが最も古いが、1891年にイギリス人が行った国勢調査によると、インド西部の「ベネ・イスラエル(イスラエルの息子たち)」と呼ばれるコミュニティが最多の人口を抱えていた。彼らはヘブライ語やユダヤ教の教えを忘れて現地化していたが、日々の生活や慣習においては部分的にユダヤ的文化を維持していた。彼らは「黒いユダヤ人」と呼ばれており、これは混血であるという意味もあったが、15世紀以降にポルトガルやオランダから移住した「白いユダヤ人」に対比する用語でもあった。
18世紀以降に多くのヨーロッパ人がインド亜大陸に訪れるようになると、インドのユダヤ人たちはユダヤ教の知識を吸収し、シナゴーグなども各地に建設された。植民地期には他のコミュニティと同様に、経済的・社会的地位の向上やコニュニティの結束などが主張され、伝統や文化の再定義が行われた。1917年にイギリスによる「バルフォア宣言」が発せられ、イスラエルの建国が構想されるようになると、インドのユダヤ人たちは支持を表明した。しかし、インドの指導者たちの間で自治構想が持ち上がると、「黒いユダヤ人」たちはユダヤ人としての留保議席を求めたのに対して、「白いユダヤ人」たちは自分たちの出自をヨーロッパ人であると主張するなど足並みの乱れもあった。第二次世界大戦前には、ナチスの迫害を逃れて多数のユダヤ人がインドに移住したが、そのような出来事もユダヤ人としてのアイデンティティを強化し、エルサレムに回帰するシオニズムを推進することとなった。1947年にインドとパキスタンが英領インド帝国から分離独立すると、インドのユダヤ人たちもほとんどが新たに建国されたイスラエルに移住した。
このような歴史があるため、今回のパレスチナとイスラエルの紛争はインド人にとって他国の出来事ではないのである。インドのユダヤ人たちはユダヤ人としてのアイデンティティを持ちつつも、インド人のアイデンティティも保持しており、イスラエルに向かったユダヤ人たちはインド系移民なのである。現在のインドにはユダヤ人はほとんどいないが、不可触民がカースト差別から逃れるために改宗することが奨励されており、キリスト教に改宗した者の中にはユダヤ教のアイデンティティに目覚める者もいる。同様の事例は仏教でもあり、中世にイスラーム勢力が亜大陸に侵入したことによって仏教は滅んだが、カースト差別から逃れるために仏教徒に改宗する者もいる。仏教は元々ヒンドゥー教の一派としてみなされていたので、キリスト教やユダヤ教よりも改宗者の数は多い。しかし、イスラームの侵入よりも遥かに昔からユダヤ教徒のコミュニティが存在していたことは、インドがパレスチナ問題でイスラエル寄りの姿勢を示す根拠となっている。
つまり、インドがイスラエルを支持する理由は、国際関係や自国の利害だけを考えているのではなく、過去の歴史から情緒的にユダヤ人に味方していることがわかる。しかし、国際世論がイスラエルへの批判を強める中で、同じグローバルサウスを構成する中東やパレスチナを支持できないことは、皮肉にもインドの国際的な影響力を低下させているかもしれない。