日本人がインドに住む、と聞くと他の諸外国と比べて「ハードルが高そう…」と身構える人もいるのではないでしょうか?
しかし現代化したインドは、私が想像を軽く超えてきて、過ごしやすいのです。
それでもなお、カースト制などの昔の伝統が根強く残り、ヒンドゥー教を文化の基盤とした長い歴史を持つインドの日常は、日本人としては溶け込みにくいのも事実です。
今回は、インドに来る前に探し漁った本のうち、インドをより深く知るために特におすすめしたい5冊を紹介します。
インドのリアルを知るには覚悟がいる
「インド残酷物語 世界一たくましい民」 池亀彩
題名からして手に取るのにちょっと抵抗があるかもしれません。
聞いたことがあるでしょうか、「名誉殺人」と言われる家族内の殺人のことを。
私はこの本を読むまで、そういう言葉があることすら知りませんでした。
第一章で紹介される「名誉殺人」の事例はあまりに衝撃的で、インドに対する「雑多で、神秘的で・・」などといった漠然としたイメージがいっきに崩されました。下層カーストの男性と駆け落ちして結婚した娘を取り戻そうとした両親が、人を雇って男性を殺害させるという恐ろしい事件。 しかもそれは娘のためなんかではなく、家族の体裁の保つためという理由でです。こんなことが、インド全体で、決して少なくない件数で起きているというのです。 そんな強烈な出だしで始まる本書ですが、そこから著者の視点はインドに生きる個人の生の声にズームインしていきます。インド経済や未だに残るカースト差別について触れた本はいくつもありますが、そのほとんどが統計的な推移や制度の仕組みについての説明的なものです。 それに対して本書は、徹底的に生のインド人と接した視点で書かれた本です。著者が南インドのバンガロールを中心としたフィールドワークの中で出会った、身近な人物達のエピソードで展開されていきます。 |
時にかなり感情的な記述もあります。その瞬間の感情を著者が吐露してくれることで、読者である自分も感情移入しその場面に入り込みやすくなっています。
差別あり、格差あり、国家の社会補償は弱く、家族単位での助け合いが生活を支えているインドの貧困層の現状は、日本人にとっては衝撃的なものです。しかし「なるほど、ひどいな」という感想で終わってしまうのではなく、そこで実際に生きる人の奮闘する姿を描き出すことで、状況に悲観せずにたくましく生きる人々のパワーを伝えてくれるのです。
本書にも書かれていますが、インドの中ですら中間層以上の人々と下層カーストの人々との断絶が起きているようです。
インドで生活していると、この本の帯にも書いてある「格差上等、差別当然」という現実を目の当たりにします。
中間層以上のインド人は彼らを下層として扱うことに、なんの躊躇いもありません。例えば南インド・チェンナイで働くホワイトカラーのビジネスマンは、雑多な旧市街地ジョージタウンを「貧乏な人が住んでいる所ね」と言います。私がお手伝いさんを月5,000ルピー(約8,850円)で雇っていると言うと「そんなの高すぎる、俺はもっと安く雇ってるぞ」と低賃金が当然のように話すのです。そこに慈悲深さや同民意識は感じられません。
もちろんインド人全員がそうではないと思いたいですが、私はそういう風潮を感じました。
私たち外国人が直接触れ合うインドの人々からは、IT化、システム化が急速に進んでいるインドというイメージが最も受けやすいと思います。ですが、この本に書かれているのは、そういった現代化から置いていかれている多数の国民たちです。
根底の文化は、ホワイトカラーのインド人と英語でコミュニケーションをとっているだけでは感じ取れないのです。
現地のカンナダ語を習得してフィールドワークをした著者の体験を読めるのは、本当に貴重なことです。
ディープな南インド、早わかり
「南インドカルチャー見聞録」 井生明・春奈&マサラワーラー
インドの旅行ガイドブックの多くは、首都デリーを中心とした観光ルートを想定して書かれているため、主に北インドについての記載がほとんどを占めます。
日本からの観光ツアーでよく組まれるデリー、アグラ、バラナシ、などの北インドに比べて、南インドは比較的治安が良く、観光地での客引きもあまりしつこくないと言われています。
私は以前北インドを訪れたことがありますが、今回南インドのチェンナイに住んでみて、本当にその通りだなと感じています。
北インドを旅行してインドがいやになったという声をたまに聞きますが、有名な観光地にだけ行くとそういう気持ちになるのもわからなくはないです。観光客からの収入に生活がかかっている人が多いのです。彼らも生きるために必死です。
さて、本書はそんなインドの中で南インドの魅力について書かれたユニークな本です。
タイトルの通り南インドのカルチャーがぎっしりつまっています。
ちょっと見て普通と違うのを感じるところは写真で、インド人を近距離で撮った動きのある写真が目立ちます。それに合わせた臨場感のある文章からはその場の温度や著者の高揚感が伝わってきます。著者は南インドを愛する写真家だそうで、現地のインド人との触れ合いを感じるように読めるガイドブックに仕上がっており、新鮮に感じます。
コンパクトですがこれでもかというくらい情報がつまっていて、これ知りたかった!ということがこれ以上載っている本は他にないと思います。 ド派手なインドの祭りや結婚式、ヒンドゥー教の神の種類や神話について、南インド料理の詳細はもちろんですが、最も細かくてありがたかった情報は、伝統音楽や古典舞踊のパートです。 熱帯クラシックと呼び名をつけたカルナータカ音楽と、そのミュージックイベント、南インドの楽器に関しては特に詳しい説明が載っています。カルナータカ音楽の作曲家やアーティスト、CDガイドもかなりの情報量で、読者を置き去りにします。 古典舞踊のバラタナティヤム、モヒニアッタム、ヤクシャガーナ、テール・クートゥ、カタカリ、など、おそらく全く聞いたことない人も多くてなんのこっちゃだと思いますが、そんな馴染みの薄いインド舞踊に関しても、とりあえずこの本を読んでおけば観て楽しむ際の基礎知識は得られます。 |
ちなみに南インドのチェンナイでバラタナティヤムは習い事として大人気です。一流の先生に学ぶのはお金もかかるので、インドでバラタナティヤムを踊れるということは一種のステータスになっているようです。
一度YouTube 動画などで観てもらうとわかると思いますが、このダンス、かなりハード。指先まで筋トレしているかのようなブレのない全身の細かい動き。そして表情筋を目一杯使って顔で感情を表すのです。歌い手の声かけと一致させて一瞬の誤差もなくポーズを変えていくのは、かなりハイセンスで目が釘付けになります。
さらにこの本にはインド映画スター名鑑、人気映画、ファッション、交通事情やテーマパークなど南インド人の日常生活も盛り込まれています。1冊で全て網羅しているので何を買うか迷ったらまずはこの本をおすすめ。
お金と時間にちょっと余裕があったらぜひ南インドにお越しください。
伸び代のある市場としてのインド
「図解インド経済大全」 佐藤隆広・上野正樹 編著
インドに滞在する予定のビジネスマンが、一番に手に取る本ではないでしょうか。
本書を読んでみると、インドへの日本企業の進出はまだまだ勢いが弱い印象を受けます。自動車のマルチスズキ以外で言うと大成功を収めている大手日系企業はあまり見つけられません。だからこそ、今後伸び代のある市場としての注目度も高いのかもしれません。 インドのローカル企業に関しては、一部の業界を除けばまだまだ強いとは言えず、経済成長も順風満帆とは言えない状況のようです。それでもそれぞれの業界の市場の成長率を見ると、10年で数10%、さらには数倍になっているものがいくらでもあります。日本人からすると信じられないようなグラフがたくさん記載されており、勢いが全然違います。 |
2023年には中国を抜いて人口第一位になると言われるインド。日本人のインドに対するイメージが10年前のインドで止まっていると、簡単に置いていかれあっという間に突き放されるのでしょう。
本書の後半に書かれている言葉が、現在のインドの状況を最も適格に表しています。
『今インドが世界を驚かせているのは、インドの価値観ではなく、インド人の貧しさや汚さでもない。むしろインドが今までのインドでなくなっていることに世界中が衝撃を受けている』
まさに私もインドに来て衝撃を覚えたのがこれです。自分が知っていたはずのインドがなくなってしまう。経済が発展するのは自国にとって良いことですが、インドの個性が薄まっていずれなくなってしまうのは物哀しいものです。それは無責任な外国人の発想だとはわかってはいても、そう感じずにはいられないのです。
広い国土、大人口、多宗教、多言語、カースト、固有の食文化、などなど、ユニークさに事欠かないインドですが、今後経済的にどう発展して、文化がどう変化していくのか、そのダイナミックな動きに世界が注目しています。
日本人にも作れる本当の南インド料理
「南インド料理とミールス」 ナイル善己
まずビジュアルがいいです。料理写真が絵画のように鮮やかなので、眺めているだけでも楽しいです。レイアウトにもこだわりを感じます。
料理の説明も詳しいです。それぞれの料理の由来や食べられる地域の特色など、単なるレシピ本ではなく、食事のことを学べる本に仕上がっています。
日本にあるインド料理の本は、多くが北インド料理か日本風のインド料理だと思います。
お手軽に手に取れるライトなレシピ本を作ろうとすると日本風のアレンジになり、日本の食材で簡単に調理できる様に変更されてしまいます。
逆にプロが使うような本格的料理本にすると、日常的にとっても作りにくいのであまり読んでもらえません。
この本は、現地の料理を忠実に表現しながらも、実際に普段南インドで食べている料理が日本人にウケるようにアレンジされています。マニアックになりすぎず、日常的に手に入る食材(ちょっとレアなものもありますが)を使っているので、ついつい作ってしまえます。 ハードル高くないけど本格的。 |
ものすごいバランス感覚だと思います。
ちなみに南インド、チェンナイではベジタリアンが圧倒的に多いです。そのためベジタリアン用の食事が洗練されていてどこで食べても、高確率で美味しいのです。
私はそう確信してから外食するときは、ほとんどベジミールスを食べています。肉を使用しない分さまざまな野菜を入れるので、色鮮やかで目でも楽しめます。
インド建築や彫刻を歴史とともに辿る
「インド美術」 ヴィディア・デヘージア
インドに住むと決まってから、インド生活の中で美術に触れないなんて発狂すると思い、インド美術についての書籍を探し訪ね、この本にたどり着きました。
なかなかここまで詳しいインド美術解説本はないと思います。
この本は、インダス文明の遺跡・工芸品に始まり、アショーカ王が仏教を篤く信仰して保護した時代から、ヒンドゥー教寺院の最盛期、ムガル帝国が繁栄したイスラム期、イギリス統治の西洋文化導入期へ、という歴史の順で構成されています。 |
輝かしい寺院建築や細かい彫刻の写真が多く挿入され、それぞれの作品の背景にあるストーリーが大きな歴史の流れにそって説明され、さながらドキュメンタリー番組を見ているような感覚になるのです。
そんな人はなかなか少数派だと思いますので、読み始めると混乱して投げ出したくなるはずです。
この本にはたくさんの歴史上の人物が登場するため、ノー装備だと全然ついていけません。そもそも人の名前か場所の名前かどうかもわかりません。わかりやすい世界史読本や歴史年表、世界地図を横に置いて、その時代の盛んな宗教と栄えた場所とを確認しながら読むとよいと思います。だんだんはまっていくと面白くなります。
最近は YouTubeでもインド史などわかりやすい動画が揃っているので、先にパート毎の歴史を勉強してから読むとなお理解が深まるのではないでしょうか。
ちなみにインドの画家といえば、ラージャ・ラヴィ・ヴァルマが有名だそうですが、ご存知でしょうか?私はこの本を読んで初めてインド人の描く西洋画を知りましたが、彼や他のインド人近代画家に関しても作品や記述があり大変わかりやすいです。
インド美術に精通している日本人は、はたしてどのくらいいるのでしょうか。仕事でインド美術を扱っているか、インド美術に魅了されているインド通でなければ、詳しく語れる人は少ない気がします。どうしてもインドの長い歴史と神話と宗教を絡めないと語れないので、全部学ぶとなるとなかなか壮大な話になってきます。
この本はそれなりに厚さがある読み応えのある本ですが、そんなインド美術を全てにわたり網羅していて、1冊でインドの歴史と美術への理解が深まることは間違いないです。これ1冊でインド美術を語れるかなり珍しい日本人になれます。