インドにはラダックという、チベット文化が花開く秘境があリます。今回はラダックの魅力と見どころをご紹介します。
ラダックの魅力
古いチベット文化が残っている
インドの最北端に位置するラダックは、中国のチベット自治区と国境を接し、チベット文化圏に属します。
チベット文化圏の大部分は中国に属しますが、数千あった中国国内のチベット寺院や仏像は1966~1976年の文化大革命で徹底的に破壊しつくされ、中国政府により指定された数か所しか保護されなかったため、中国へ行っても古い文化財はほぼ見ることができません。
ダライ・ラマ法王事務所のホームページによると、文化大革命により6,000の仏教寺院が破壊され120万人のチベット人が命を落としたと主張しています。
一方、ラダックはチベット文化圏でありながらインドに属していたため、文化大革命の被害を受けず、数百年以上前の寺院や仏像・文化財が(経年劣化による破損は著しいものの)豊富に残されています。
中国国外のチベット文化圏としてはブータン王国・インドのシッキム州なども挙げられますが、ラダックは首都デリーから飛行機で僅か90分で行けるため、チベット文化圏の中では最もアクセスしやすい地域です(つまり、実はラダックは秘境ではありません)。
雄大な自然
ラダックは標高3,000メートル以上の高地に位置しており、開発も進んでいないため空気も水も綺麗で、どこまでも続く雄大な景色を堪能することができます。
世界一深刻な大気汚染で有名なデリーから僅か飛行機に90分乗っただけで、こんなに綺麗な景色を見ることができるのかと驚きます。
またインターネットの接続も良くないため、世間の喧騒を離れて静寂な時間を過ごすことができます。
ラダックの見どころ①レー市街地散策
メインバザール
ラダック地方の中心地はレーという都市です。
メインバザールの端から端まで5分くらいで歩けるほどのコンパクトな町ですが、レストランやカフェ、チベット文化の土産物店、旅行代理店やAirtelショップなどがあり、ラダック旅行に必要なものは全てレーのメインバザールで調達できます。
インドにはネパール経由で中国から亡命してきたチベット難民が多数在住していますが、レーのメインバザールにもチベット難民のお店が多数ありました。
ラダックの到着初日は、高地に身体を慣らすため、レーのメインバザールで休むことをオススメします。
レー王宮
レー市街地から急斜面の階段を20分ほど上ると、レー王宮があります。
レー王宮は1600年頃に建設された9階建ての建物で、ラダック王国がカシミール藩王国に併合される19世紀半ばまで王族が住んでいました。現在、王族はレーから15kmほど離れたストック王宮で暮らしています。
廃墟となったレー王宮の内部は崩壊が進んでいましたが、現在は修復が進み、現在内部ではインド各地の観光名所などが紹介されています。
多くの部屋は閉鎖されて鍵がかかっており、当時の王家の生活を感じられる建物ではないのが少し残念ですが、展望台からレー市街を一望できます。
展望台観光情報 参観時間:季節によって変動があり、だいたい日の出から日没まで 拝観料:インド人は15ルピー、外国人は100ルピー |
ラダックの見どころ②チベット寺院(ゴンパ)巡り
ラダックはチベット文化圏なので、チベット仏教の寺院(ゴンパ)が多数あります。
中国のチベット自治区を外国人が観光するには必ずガイドを付けなければなりませんが、ラダックにはそのような制限がないため、好きなだけお寺でのんびりすることができます。
澄んだ空気の中、僧侶のお経を聞きながらゆっくり過ごすと、何か面白いアイディアが浮かぶかも知れません。
ゴンパは広大な領域に分散しているため1日で回るのはとても難しいですが、主要なゴンパに絞れば2~3日くらいで回ることができます。
インドのダラムサラには、1959年に中国を追われたダライ・ラマ14世が暮らしていますが、ラダックでは多くのチベット寺院にダライ・ラマの写真が掲げられています。
地元の方から聞いた話では、ラダックはインドの中で最もチベットと似た雰囲気の場所なので、ダライ・ラマはラダック訪問をとても楽しみにしており、毎年ラダックを訪れているそうです。
インドにはダライ・ラマの講演を聞くために世界中から多くの人が集まります。私も2020年の1月にブッダガヤという釈迦が悟りを開いた地でダライ・ラマの講演を聞くことができました。
一般的にはインドから仏教は消滅した(ヒンドゥー教に吸収された)と理解されていますが、現在も多くの仏教徒にとってインドは特別な場所です。
さて、ラダックのお寺には漢字表記がなく、仏像なども英語とラダック語のみの表記のため、仏像の名前などを事前に英語で覚えておくと親近感が湧きます。
<例>
観音菩薩:Avalokitesvara
弥勒菩薩:Maitreya
|
また、インドのヒンドゥー寺院境内では屋外でも靴を脱がなければならないため、インド人観光客はラダックの仏教寺院でも寺院の入り口で靴を脱ぎますが、ラダックの寺院の多くでは建物内のみ土足禁止(寺院境内でも屋外なら土足OK)でした。
”Please remove your shoes”と掲示してある場所では、靴を脱ぎましょう。
ラダックの見どころ③ヌブラ渓谷
ヌブラ渓谷はレーから車で約5時間の場所にあります。断崖絶壁で未舗装の片側1車線の道を走ったため、空気の薄さと車酔いのダブルパンチで疲労困憊しましたが、ヌブラ渓谷に到着して絶景を見ると全ての疲れが吹き飛ばされるので、ぜひご訪問ください。
ヌブラ渓谷へ行く途中でカルドゥン・ラという、自動車道としては世界一の標高約5,300メートルの峠を通ります。この峠を自転車でを越えているタフな外国人を何人も見かけたので驚きました。
ヌブラ渓谷はレーから日帰りだと慌ただしいため、1泊がオススメです。
ラダックの見どころ④パンゴン・ツォ
パンゴンツォはラダックのハイライトとも言える美しい湖です。
湖のうち30%がインド、70%が中国に属しており、中国との国境がすぐそこまで迫っていますが、陸路で直接インドと中国を往来することはできません。
パンゴンツォもレーから片道約5時間ほどかかり、途中ではチャンラ峠という、自動車で到達できる場所としては世界で2番目に標高が高い場所を通過します。
パンゴンツォも日帰りだと慌ただしく、また午前中の方が湖は綺麗なため、1泊するのがオススメです。
パンゴンツォとヌブラへ行くは入域許可証(ILP)の取得が必要です。
ラダックの歴史
チベット文化圏のラダックが中国ではなくインドの一部となった経緯をご紹介します。
7世紀に初めてチベット全体を統一したソンツェン・ガンポが643年にラダックを併合し、ラダックはチベットの一部となります。
しかし841年に吐蕃が滅亡すると、翌年キデ・ニマゴンという人物がラダック王国を建国しました。 ラダックはチベット文化圏の一部となっていましたが、842年以来ラダックとチベットは別の国として歴史を歩むことになります。 その後、17世紀には中央チベットのダライ・ラマ政権と紛争を起こしました。 現在はラダックで敬愛を受けるダライ・ラマですが、17世紀から19世紀までラダックとダライ・ラマは対立関係を続けており、この対立があったお陰でラダックは中国(清)の版図には組み込まれませんでした。 ラダックは19世紀半ばに、ラダックの西を支配するカシミール藩王国に組み込まれ、そのカシミール藩王国がインドに属したため、ラダックもインドの一部となりました。 ラダックはインド領となったことで中国の文化大革命による破壊を免れ、15-16世紀の古いチベット寺院や文化財を残すことができました。 |
もしラダック王国がダライ・ラマ政権に屈服していたら、今頃はラダックも中国に支配され、チベット同様に文化大革命で殆どの寺院が破壊されていたかも知れません。
ラダックのチベットの関係
ラダックは東へ行けばチベット、北へ行けば東トルキスタン(新疆ウイグル)、西へ行けばカシミール、南へ行けばインドがあり、歴史的には交流拠点として栄えてきました。
しかしインド・パキスタンとインド・中国間の紛争のため自由な往来ができなくなり、ラダックはインドの辺境にある秘境となってしまいました。
ラダックのカフェにいたチベット難民に話を聞いたところ、ネパール経由の陸路でインドへ入国したということでした。
ラダックとチベットは同じような文字を使っており、同じチベット仏教を信仰しているため、外国人にはラダックとチベットは全く同じに見えますが、現地の方に話を聞くとラダック語とチベット語は異なるため、会話は成立しないそうです。ちょうど、全く異なる日本語と中国語がどちらも漢字を使っているようなものかと思います。
ラダックはインドの一部ですが、「インド人」という意識は薄く、かと言って「チベット人」という意識があるわけでもなく、「ラダック人はラダック人」であるようです。
五感でラダックを感じてください!
以上、ラダックの魅力を紹介しましたが、ラダックの素晴らしさは写真と文章だけではとても伝えきれません。
360度の絶景と修行僧のピリっとした空気、読経の音や歴史ある寺院の独特な香りなど、全てが混ざり合ってラダックの魅力を織りなしています。
