マイソールといえば、歴史で習ったマイソール戦争くらいしか馴染みがなくて、日本人がインドに観光で訪れるときにはあまり候補にあがらないような気がします。でもこのマイソール、インド人には大人気なんです。
※ちなみにマイソール(Mysore) は旧称で、正式名称はマイスール (Mysuru) ですが、ここでは便宜上マイソールと記載します。
ダシェラ祭ってなんだろう
ダジェラ=ナヴァラトリ??
インド人は爆音を流して大騒ぎするのが好きです。したがって、お祭りが大好きです。中でもインド三大祭りと言われているのが、「ホーリー(Holi)」「ダシェラ(Dussehra)」「ディワリ(Diwali)」です。私がバンガロールとマイソールを訪ねた10月初旬はダシェラ祭(ダシャラー祭、ダサラ祭)の時期で、どこもすごい混み合ってました。
ダシェラ (Dussehra) はヒンディー語で 10を意味する「Dus」と、消滅を意味する「hara」からきています。善が悪に勝利したことを祝うヒンドゥー教のお祭りで、ヒンドゥー暦のアシュヴィン月(ヒンドゥー暦月齢太陽暦7月)の10日に行われます。これは西暦でいうと9、10月頃ですね。
「ダシェラ」は狭義には、9つの夜を意味するヒンドゥー教の祭「ナヴァラトリ」の最終日のお祝いを指しますが、南インドではマイソールのように、ナヴァラトリの期間全体をダシェラと呼ぶ地域もあります。東部州や北東州ではドゥルガー・プージャーと呼ぶことが多いようです。
もともとダシェラ祭は14世紀から15世紀のヴィジャヤナガル王国(今のハンピ)で始まったので、ヴィジャヤーダシャミーと呼んだりもします。
同じお祭りなのに呼び方が違って、これも多様性の国インドの文化です。
由来や祝い方は地域によって異なる
ダシェラの由来はこれまた地域によっても異なりますが、
または、
|
なんだそうです。
ラーマ王子に倒された魔王ラーヴァナになぞらえた巨大な人形を燃やす催しがインド各地で行われます。ラーヴァナの肖像画を花火で燃やしたりもします。ドゥルガー、ラクシュミー、サラスワティ、ガネーシャ、カルティケヤなどの各神様の粘土像を、音楽とともに川や海の前まで運び、像を水に沈めるイベントを行う地域もあるようです。
ちなみにこのダシェラは、20日後に行われる重要なお祭りである「ディワリ」の準備を始める意味もあります。
マイソールでは 10/5 (水) の本番には大規模なパレードが行われ、ゴージャスに着飾った象が何頭も連れ立って街を練り歩きます。
2. 藩王国って?マハラジャって?
マイソールがどういう歴史を辿った街なのかと調べていると、「マイソール藩王国」と呼ばれる時代があります。
イギリスがインドを植民地支配した時期、インドの3分の2ほどをイギリスが直接統治していましたが、残りは以前からの統治者に一定の自治権を認めました。
この地域を藩王国といい、イギリスからの独立直前の1947年の時点で、600以上の藩王国が存在したそうです。藩王国の統治者がヒンドゥー教徒の場合はラージャ (Raja) ないしタークル (Thakur)、イスラーム教徒の場合はナワーブ (Nawab) と呼ばれていました。 マハラジャという言葉はサンスクリット語に由来し、mahānt-「偉大な」とrājan「支配者、王」からの複合語です。文字通りには「偉大な王」「大王」と訳されます。 マハラジャという言葉は、昔はさほど一般的な用語ではありませんでしたが、イギリスによるインドの植民地化が進んで以降は、多数のラージャたちをはじめとするヒンドゥー教系の支配者たちが、小さな藩王国を統治しているだけにもかかわらず、自らマハラジャと名乗るようになったそうです。 |
マイソール藩王国くらいの規模なら文句なく「偉大な」という枕言葉をつけてもよい気がしますが、とりあえず王はだいたいマハラジャと呼ばれていたんですね。
現在は古くからの使い方からは離れ、定義は広くあいまいなものになっているようです。
3. マイソールの歴史をざっくりと。
マイソールは16世紀頃に始まり、ヒンドゥー教のオデヤ家(オデヤ朝、ヴォデヤール朝)が統治していました。もともとはヴィジャヤナガラ帝国の属国でしたが、同帝国の衰退とともに独立し、領土を広げていきます。
イギリスが押し寄せてきた18世紀半ばごろ、北はムガル帝国、西はマラーター王国やら何やらが勢力争いでしのぎを削っていて、南インドにはマイソール王国が強力な国を作り上げていました。 このマイソール王国は頑張って頑張ってイギリスの支配に抵抗していましたが、結局30年にわたる合計4回のマイソール戦争の末に敗れ、イギリスに従属する藩王国となります。このとき最後まで戦いに立ったのがティプー・スルターンで、「マイソールの虎」として英雄視されています。 この時期、ヒンドゥー王家のオデヤ家君主はいったん有名無実化し、マイソール王国はイスラム政権となっていましたが、藩王国となった際には再度オデヤ家に主権が戻りました。その後1947年のインド独立まで、マイソールはオデヤ家による支配が中心であり続けました。 |
インドが独立してからは、マイソール市はマイソール州(現カルナータカ州)の一部となりましたが、マイソール藩王(=マハラジャ)のチャーマ・ラージャ11世は肩書を持ち続けることを許され、また州知事にも指名されたそうです。
ちなみにチャーマ・ラージャ11世は知事退任後、1974年9月23日にバンガロールパレスで亡くなり、マイソール市において火葬されています。
4. マイソールパレスの昼と夜
マイソールは人口100万人に満たない小規模な街です。観光地はいくつかありますが、外国人もインド人もマイソールパレス(マイソール宮殿)目当ての場合が多いと思います。
このマイソールパレスは最初14世紀に建てられてオデヤ家の住居として使われていたのですが、たびたび破壊されては再建が繰り返されています。
現在の宮殿は1912年にイギリスの建築家ヘンリー・アーウィンの設計により建て直されたものだそうです。
イギリスのゴシック様式とインドの伝統的なムガル様式が融合した、「インド・サラセン様式」の建築物です。
イギリスがインドを植民地化し始めた当時、南インドの広大なヒンドゥー教寺院の美学を受け入れられなかったといいます。特にマドライにあるような巨大でカラフルで市街にニョキニョキとゴープラムが建っているような派手な寺院は苦手だったらしいのですが、なんとなく気持ちはわかる気がします。
一方で、インドのイスラム建築に関しては「サラセン風」と呼んで称賛しました。なのでその時期には、各地にイギリスのゴシック様式とイスラム様式が合体したような建築物が建てられています。
↓詳しい情報は公式ホームページに載っています。 |
夜のマイソールパレス
さて、マイソールには空港もありますが、単独でマイソールにだけ来る人は少ないので、バンガロールからバスか車でアクセスする観光客が多いようです。
マイソールパレスは現在博物館として公開されていて、日曜と祝日は夜にライトアップされるのですが、ダシャラ祭の時期はこのライトアップが毎日されます。
我々はまずこのライトアップに間に合うようにマイソールに入り、翌日にパレスの内部を見学することにしました。
マイソール中心部に近づくと相当な交通量で、マイソールパレスの周囲は交通麻痺です。
クラクションが鳴り続け、車はほとんど動かないのですが、インドの電飾はどこもとても派手で綺麗なので、ゆっくり眺めながら、パレスに少しずつ近づきます。
ついに全然動かなくなったので車を停めやすいところで降り、しばらく歩くことにしました。
周囲は家族連れで賑わっており、出店や売子もお祭り使用でキラキラです。
入り口に着きました。トラウマレベルの人だかりです。
入り口とは言っても、まだマイソールパレスは見えません。
はるか向こう側に、パレスに入る門が煌々と輝いていますが、そこまで人で埋め尽くされているのです。日本の某花火大会のようです。
と思いつつもここまできたら入らないわけにもいかないので、インド人が次々とタックルしている入り口っぽいところに近づき流れに身を任せてみました。
あとからわかったのですが、ここにいるのは外に出たい人達らしい。出たい人が写真向かって右方向に誘導されているのですが、たぶん出口の先が狭くてここでスタックされているんです。この枠を超えて脱出する人がたくさんいました。
なぜか入り口はインド人一人通れるくらいの幅しかなく、おしくらまんじゅうしながら少しずつ内側へと送られていきます。腕を動かすスペースもなく、ラッシュの満員電車どころではないです。なすすべもなくつぶされます。
一時はどうなることかと思いましたが、入り口付近を抜けると、意外にも中は普段のインドの行列。
もちろん混んではいますが、普通に iPhone を構えるくらいのパーソナルスペースはあり、ゆっくりですが前に歩いて進めるレベルです。
入り口の門からして圧倒されますが、中の広場に入るとさらにゴージャスな金色の光に包まれます。
これを観るだけでもわざわざマイソールまで来た価値があります。
パレスの前でイベントがやっていて、大きなステージがありました。
パレスの目の前で写真を頼まれたり頼んだりしていたら、一層大きな歓声が聞こえてきます。見ると、象が何匹かパレスの奥から出てきて行進して行きました。
本番はパレスから外に出てきて周囲を練り歩くようです。インド人のこの盛り上がり様だと、実際近くに来たら凄まじい合戦になりそうです。
帰りはまっすぐ通り抜けて入った門と反対側から出ます。こちらは入り口ほど混み合ってなくてホッと一息
ちなみに通常時のライトアップは19時〜20時のようですが、今回はダシャラ祭の特別期間のため22時過ぎても明るいままでした。そしてインド人密度もずっと減らず。
周囲の道路で馬車が普通に走っているのをたくさん見ました。インドは路上の牛は多いけど、馬はそこまで見かけません。
昼のマイソールパレス
マイソールパレスには入り口がいくつかあって、私が訪れたダシェラ祭の時期に関しては、南門が観光客用ということでした。
それを知らずに北門に着くと、チャラいお兄さんが近づいてきて、「今日は特別な日でパレスは11時半からしか開かないから、南門に行く前に、○○○(おそらくお土産屋) まで送ってあげるよ。良いものがいっぱい買えるから行った方がいいよ」などと言ってリキシャに誘導します。
昼のマイソールパレスは夜とは比べものにならないくらい入りやすかったですが、それでもダシャラ祭の時期とあって観光客は大勢いました。
夜はインド人で埋め尽くされる入り口の門も前の広場に、お土産がいくつか出ています。
珍しいコインを販売している男性がいて、古いコインがコレクションされたコインブックが4,000ルピーとのこと。
夜は無料でしたが、昼は中に入るのにお金がかかります。外国人もインド人も一律100ルピー。外国人料金が高い施設が多いインドでは良心的です。
ヒンドゥー教の施設なので、内部に入るには靴を脱がなければいけません。
パレス内は人が多くて、前の人に続いて流れていくような鑑賞スタイルでした。
誘導されてまず入るのは、マハラジャの結婚式や誕生日など、お祝い事に使用されていたパビリオンです。昔踊り子がここでダンスを披露していたんでしょうか。
珍しいものが展示してある部屋では、立ち止まるとピーっと笛を吹くおじさんがいて、早く動けと誘導されます。
ある程度人の少ない廊下部分や中庭の周囲では、自由に動いて写真もゆっくり撮れます。ここでは綺麗な壁のタイルや壁画をじっくりと鑑賞できます。
上の階の、屋外に通じるホール(マハラジャが民衆を見渡せるところ)に出ると、外の光で明るく照らされてとても気持ちがいいです。
このホールには、ラジャ・ラヴィ・ヴァルマをはじめとするインドの芸術家たちによる貴重な絵画コレクションが飾ってあります。
広間は、巨大な柱に支えられたバルコニーに通じており、チャームンディーの丘やパレード会場を眺めることができます。
しかしここ、マハラジャ的ゴージャスな気分に浸りたくても、作業中まるだしのテントやらトラックやら足場やらが目に入り、全く情緒がないです。
その次に入る部屋では、マハラジャの実際に座っていた黄金の椅子が公開されています。ここではその椅子を見るために50ルピーが追加徴収されます。
全部が金なのはすごい(本当なら)、しかしデザインはイマイチ。
気になったらぜひ見に行ってください。
夜のライトアップマジックと違って、真昼のマイソールパレスは、ちょっとした所の汚さや絶賛作業中が目立ってしまって残念な感じはあります。
しかし全体的にはすごくちゃんとメンテナンスされていました。歴代の王が残した遺産がこのようにしっかり残っているというのは、現代のインド人にとって誇りだろうなと思います。
インドの中で、その時代に以前からの王国名を名乗ることが許されていた藩王国って特別だったでしょうし、かなり経済的に恵まれていたんだなということがわかりました。
そしてインド中から大勢のインド人が興味をもって観に来てるのも、インドらしさを残せた場所、という意味で人気なんじゃないかなあと感じました。
5. どこを切り取っても絵になるマイソールのマーケット
しかし、わざわざ探して出かけないと、喧騒を経験できないという事実。
インドが「我々が知るインド」ではなくなってきている証拠だと思います。
Devaraj デヴァラジ・マーケット
マイソールの生活感溢れる Devaraj マーケットに行きました。
そばの広場で車を降ります。まだ早かったので広場の露天商は準備中で、少しずつ店開きしている時間でした。
チェンナイやバンガロールなど他の都市のフラワーマーケットもとても活気があって圧巻でしたが、こちらはアーケード内の一区画に花屋さんが集まっています。黄色い花が最も多く、続いて赤とオレンジ。たまにピンク。目の保養です。
インド人は主に神様へのお祈りや日常の飾りで花を使うそうです。
フラワーマーケットで花を大量に仕入れてさらに別の店で売る人もいるし、家族で神様の飾り物に使うために買いに来ている人もいます。このあたりには野菜が売っています。積み上げられた野菜は艶があってとてもきれいです。
小分けにしているお店もあります。フルーツの並べ方といい、マイソールの店員さんはみな几帳面ですね。
その他に、バングルを売ってる装飾品屋、色粉屋、スパイス屋、雑貨屋などが集まっていて、ここでいろいろと揃います。
ないのは肉くらいですね。肉はこういう所ではやっぱり売れないんだろうなと思います。
Devaraj マーケットは広く、行き交う人々で常に活気に満ちてごった返しています。
怒鳴り合い、掴み合いのケンカ風景も見ました。
原色の山盛りの野菜、きちんと小分けされた野菜、鮮やかな色粉の山が並んでいる店など、全てフォトジェニックで素敵です。
生活がかかった必死の商売だと想像しますが、それでここまで美しい市場を作れるのがインドのたくましさというか、底力なのだと思います。
鮮やかで新鮮な野菜や果物とともに、インド人の生命力も感じます。
ちなみにマイソールはサンダルウッド(白檀)が有名らしいです。
香料もだが、サンダルウッドの石鹸とか、けっこうお土産として人気なんだとか。
お店ではいろんな香料を試香させてもらいました。いわゆる欧米のブランドものの香水より自然なので落ち着く香り。メンズでも全然ありだと思います。
マーケットを出ると、朝一番に通った広場では出店がひしめきあっていて人が大勢いました。
来る時はまだまばらでしたが、小一時間で広場いっぱいにお店が開かれ、賑わっていました。
6. マイソールの変わり種レストランとおしゃれカフェ
最後に、マイソールで行ったお店を少しご紹介します。
Gufha Restaurant
ここは洞窟レストランというのが売りらしいです。マイソールパレスから歩いて行ける距離にあります。
洞窟レストランですが入り口は2階でした。スタッフは基本的に探検隊のような制服を着ていますが、サリーの女性もいます(制服はどうしても受け入れられなかったのかも。。)
予約がないと、入り口近くの席に通されます。
奥は予約必須だそうで、洞窟っぽさを感じたいなら予約した方がよさそうです。インド人の子ども連れ家族が多い印象でした。
アルコールの提供もあります。
食事メニューは基本スパイス多めで辛いですが、海老のピラフは全くインド風味がなく優しい味でした。
珍しい真っピンクのグアバアイスが食べられます。マサラがかかってなければ、もっと日本人の口にあうかもしれません。
Frosting Cake Shop & Italian Restaurant
ランチでマイソールのおしゃれな界隈にあるレストラン Frosting Cake Shop & Italian Restaurant へ行きました。すこし中心部から離れるので、マイソールパレスから車で移動しました。だいたい15分くらいの距離にあります。
店はきれいで素敵な雰囲気ですが、それ以上に店員さんの対応がとても良かったです。テキパキしているし、5分お待ちくださいと言われたら本当に5分でした。飛行機の時間を気にしながらだったのでありがたかったです。
終わりに
今回私はマイソールパレスとデヴァラジマーケットのみ訪れましたが、他にもマイソールを一望できるチャームーンディーの丘や、王家のコレクションを展示した美術館など、他にも時間があったら行きたかった場所がいくつかあります。
せっかく来たら1日か2日ゆっくりするのもいいと思います。
また、アシュタンガヨガというヨガの発祥の地のため、ヨガの講習で来ている人も多いらしいです。
ぜひ南インドの旅の目的地にマイソールを入れてみてください。都合がつけば、ダシェラ祭の時期、または通常時でもライトアップが見られる曜日の夜に滞在することをおすすめします。ライトアップはかなりのクオリティーです!
2022年10月時点で受付に書いてあった開場時間とライトアッププログラムの日時を貼っておきます。
日本のガイドブックにはライトアップは日曜と祝日の夜時19〜20時にやっていると記載されていましたが、ホームページによるとそれは変わらないみたいです。他の曜日の同じ時間帯(英語では木曜から土曜のみ )では、SOUND AND LIGHT SHOW がやっていて、こちらは大人一人120ルピーかかるようです。
ライトアップの時間を狙って来る場合は直前に確認した方がよいと思います。
ご参照ください↓
https://mysorepalace.karnataka.gov.in/timings.html