プリーは100kmにも渡るインド随一のロングビーチや新鮮な魚介類を楽しめる海辺の町で、温暖で過ごしやすい気候も相まってリゾート地として人気があります。
今回の記事では、知られざるプリーと日本の絆についてインタビューを交えてお届けしたいと思います。
プリーってどんなところ?
プリーはインド東部の州・オリッサ州にあるベンガル湾沿いの町です。
州都のブバネシュワルから列車で約2時間、バスなら直行で1時間半の距離にあります。また、コルカタからは特急列車シャタブディー・エクスプレスで約8時間かかりますが、コルカタとブバネシュワルは飛行機で1時間の距離にあるので、飛行機と陸路を組み合わせればプリーへの移動時間を短縮できます。
この土地が旅行者に人気の理由は、料理や気候だけではありません。
プリーにはヒンドゥー教の四大聖地のひとつであるジャガンナート寺院があり、毎年多くのヒンドゥー教徒が巡礼にやってきます。特にジャガンナート寺院から山車をひいて町中を練り歩く「ラタ・ヤートラ」というお祭りの期間には、海外やインド全国の観光客がここプリーに集まります。
ただ、ヒンドゥー教徒以外はジャガンナート寺院に入ることはできません。以前は向かいにある図書館の屋上から寺院の様子を覗くこともできましたが、数年前の再開発で図書館もなくなり、中を見ることはできなくなってしまいました。
ですが、この寺院で祀られているジャガンナート神はプリーの人たちにとても愛されており、町中のあちこちでイラストやモチーフを見ることができます。
もちろんプリーの魅力は、寺院以外にもたくさんあります。
町の東側のロングビーチでは、夜になるとナイト・マーケットと呼ばれる市が開催されています。日中はビーチを散策したりラクダに乗ったり、夜には出店を覗いてみたりして、プリーを堪能してくださいね。
創業60年の日本人宿「サンタナ」
さて、このプリーにはインドで一番歴史の長い日本人用のゲストハウス「サンタナロッジ」があります。(系列のホテルと区別して「オールドサンタナ」と呼ばれることもあります。)
1950年代に海外からの旅行者向けレストランとして開業したサンタナは、今では日本人用の安全な宿として多くの日本人旅行者に愛されています。
フォクナさんによると、インドが独立して間もない頃からプリーには欧米人旅行者が多く来ていたのですが、トーストやオムレツのような西洋風の食事を提供できる店が全然なかったそうです。
そこで1952年、フォクナさんの父・ダッシュさんは海外からの旅行者向けにレストランを始めます。そのうち欧米人以外にも日本人バックパッカーなどが集まるようになり、サンタナは徐々にレストラン兼宿泊所のような形になりました。 ところが、当時のプリーの人たちは外国人旅行者に批判的。 近隣住人からの批判を受けてもダッシュさんは諦めずに何度も移転して営業を続けましたが、そのうち度重なる苦情やトラブルに悩み、お店を閉めて自宅に戻ったそうです。 そんな折に、以前サンタナを利用した日本人旅行者が、ダッシュさんに会うために自宅を訪れ、宿泊しました。そのホームステイの話が日本人旅行者の間で広まり、やがてプリーに来る日本人はダッシュさんの自宅に宿泊するようになったとのこと。 それが現在の日本人宿サンタナの始まりなのです。 |
現オーナーのフォクナさんも「日本人がインドを安全に旅行できるように」という思いを持ってサンタナの運営を続けています。
2010年代には日本人旅行者の「他の都市も安全に旅行したい」という声に応えて、デリーやバラナシにもゲストハウスを作りました。
また、最近のサンタナロッジは伝統楽器タブラのレッスンや、インストラクター資格をとれるヨガのレッスンを提供するなど、様々なインド文化を体験できる拠点にもなっています。
サンタナロッジへのアクセス
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日本人主催の音楽フェス「プリーロックフェスティバル」
2014年、プリーで音楽フェスが開催されました。
サンタナロッジに宿泊しながらタブラを習っていた宮原さんが発起人です。
ミュージシャンの宮原さんは、2014年12月にサンタナの宿泊客仲間の送別会として小さな音楽イベントを開きました。その時のサンタナには偶然にもミュージシャンや楽器を演奏できる人が多く宿泊していたため、2015年1月、サンタナ系列の小学校にステージを組んでプリーの人たちにもライブを見てもらうことになったそうです。
その時にインドの子供たちが好奇心いっぱいにライブを楽しむ姿を見て「パワーをもらった」と言う宮原さんは、その年から毎年インドでロックフェスを開くことを決意しました。
翌2016年に開催したプリーロックフェスでは、日本からミュージシャンを呼び、プリー在住のタブラ奏者と共演。
このイベントは地元メディアにも報じられて毎年少しずつ規模を拡大していき、2018年からは「オリッサ・ジャパン・フェスティバル(Odisha Japan Festival)」と名称を改めて、オリッサ州の州都ブバネシュワルでも開催されています。
このフェスでは日本の縁日の屋台や盆踊りなどを楽しめるコーナーがあり、インドの人たちが日本文化を体験できるようになっています。
日本から来たミュージシャンや観客にインドを見てもらい、インドの人たちにも日本文化を体験してもらう。こうしてインド人と日本人の交流をより深めることも宮原さんの目標1つだそうです。プリーから始まった小さな音楽イベントが、今ではより多くの日本人とインド人をつなぐ大きなイベントになりつつあるんですね。
宮原さんは2018年に教育支援や文化交流を通じてインドと日本を繋げるNPO法人ジャパンインディアクラブ(Japan India Club)を立ち上げ、また、プリーでドラムスクール “No Problem International Music School”の運営も行っています。
現在は新型コロナ感染症の影響を受けて現地インドでの開催は目途が立っていない状況ですが、再開した際には日本とインドの架け橋になる音楽イベントにぜひ足を運んでみてください。
プリーと日本の絆
被害は甚大で、プリーだけでも50万戸以上の家屋が損壊。水道などのインフラも寸断され、局地的なものも含めて停電は1か月以上も続きました。
サンタナ系列の学校やホテル、日本人旅行者に愛されていた店なども被害を受け、いつ再開できるのかもわからない状況に陥りました。
そこで、サンタナの運営陣とプリー在住日本人は、共同で日本向けのクラウドファンディングを立ち上げました。
目的は、日本人にレッスンを提供していたタブラ教室や憩いの場になっていたカフェやレストランなど、日本に縁のある店や施設6か所の修繕費用を賄うこと。そして同時に、日本の人たちにプリーの魅力を伝えて実際に訪れてもらうことでした。深刻な被害を受けたプリーの復興を長期的な視点で支えようと、支援金のリターンもプリーを訪問して体験できるものが多く用意されたのです。
このクラウドファンディングは280人以上の人々に支援され、最終的には当初の目標金額を大きく超える526万円もの支援金を集めることに成功しています。
ロックダウンによって路上の屋台も閉まるため、一時期は町中にお腹を空かせた野良犬や牛がたくさんいたそうです。それを可哀想に思った元サンタナ宿泊客が日本でチャリティーイベントを開催。サンタナを経由して野良犬や牛にごはんを届けました。
また、日本人旅行者の激減で経営の苦しいサンタナを助けようと、元宿泊客の日本人が協力してインドのオンラインバーチャルツアーを組み、その収益をサンタナに寄付しています。
穏やかな海辺の町へ遊びに行こう
インタビューを引き受けてくださったフォクナさんと宮原さんそれぞれにプリーの魅力を尋ねると、二人とも一致していたのが「安心感」でした。
確かに、私もプリーを訪れた際に安心感を抱いたことを覚えています。プリーの住民や町の雰囲気の穏やかさも理由なのでしょうが、それに加えてプリーの人たちとのやり取りの中で「日本人を歓迎してくれている」という気持ちが伝わってくるからかもしれません。
それは、サンタナを中心に日本人とプリーの住民が長い時間をかけて交流し続けてきた結果なのでしょう。
また、インド人観光客からもリゾートとして人気のこの町は、心なしか時間の流れがゆっくりと感じられます。実際、プリーはリピーターの旅行客が多いと言われており、他都市とは異なる魅力があるようです。
サンタナロッジ URL:https://indiasantana.net/lodge/ |
NPO法人ジャパンインディアクラブ URL:https://japan-india.club |