“ジュガール”の哲学~インドの知恵が切り開く世界の可能性~

by 橋口悠雅

1.はじめに


“IKIGAI”という言葉は、もしかすると日本よりも外国で使われることの方が多いかもしれません。私はインドに来て初めて出来た友達から、「Japanese IKIGAI is so cool !」と言われました。その時は一瞬、何を言っているのか理解できず戸惑いましたが、しばらく考えるうちに「ああ、生き甲斐のことだ!」と気づきました。

このように、自分の国ではあまり意識されない言葉でも、外国ではなぜか人気があることは多々あります。そして、IKIGAIのような言葉として、将来的にはインドの“ジュガール”(Jugaar)という言葉が日本で注目を集める可能性があると私は考えています。

そんな言葉聞いたことが無いという人が大半かとは思いますが、現在インドの技術革新や経済全体が凄い勢いで成長している背景には、このジュガールという概念が幅を利かせていると言っても過言ではありません。

本記事ではジュガールの基礎知識から社会における役割まで様々な内容をまとめています。今後のトレンドを先取りして、日々の生活でジュガールを活かせるように成れば、皆様の生活の質は格段に向上することでしょう。

※ジュガード(Jugaad): ジュガール(Jugaar)と同義の言葉だが地域によって名前が違う

2.ジュガールとは


まず、”ジュガール”という言葉の定義を確認します。ジュガールとは、インドで使用される熟語で、「限られたリソースを活用し、創造的な方法で問題に対処する精神、賢明な選択と柔軟な対応を通じて困難を乗り越える能力」を指しています。

注目すべきは限られたリソースという部分です。インドの社会構造では、経済ピラミッドの底辺に位置する人々が豊富な資源にアクセスできる機会は非常に少なく、ジュガールが生活の一部として浸透しています。

2023年に中国を抜いて人口が世界1位になったインドは、一見すると人口増加に伴い滞りなく国が発展しているように思えますが、製造業の弱さや生活インフラの整備不足を考慮すると、国民一人ひとりがジュガール的な思考を持つことがより重要になっていると言えるでしょう。

2023年インドの人口ピラミット

(*2) : Live India Population Clock 2023 – Polulation of India Today

また、裕福な層においても、支出削減や労働コストの最適化といった観点からジュガールが活用されており、資源の不足が続く中で、この考え方は様々な応用が利く、まさに「お祖母ちゃんの知恵」といった感覚と似ているかもしれません。 (*3)
以下は、ジュガールの考えに基づいたイノベーション6原則です。近年、テクノロジーによる急速な技術革新が起こっていますが、以下のような要素を抑えているかどうかは非常に重大なポイントになります。(*4)

1.逆境を利用する(Seek opportunity in adversity)

困難な状況や社会問題をイノベーションのきっかけとして捉え、新たな価値を想像していく

2.少ないものでより多くを実現する(Do more with less)

資金や資源が限られているなかでも、機転を働かせて解決策を見いだしていく

3.柔軟に考え、迅速に行動する(Think and act flexibly)

柔軟なマインドセット行動に移し、既存の枠組みを壊していく

4.シンプルにする(Keep it simple)

過剰な機能を持たせることなく、シンプルに目的を果たす

5.末端層を取り込む(Include the margin)

主流でないターゲット層を考慮し、サービスが行き届いていない末端層の人々をあえて主な顧客とする

6.自分の直観に従う(Follow your heart)

型通りのマーケティングリサーチに頼らず、自分の直観を大切にする

3.ジュガールによる試行錯誤


では、インドの人々は日常のどのような場面でジュガール的な発想を駆使しているのでしょうか。実際の実用例について家庭的で小規模ものとプロジェクト単位で取り組んでいる大規模なもの2つを知ることでイメージしやすくなると思います。

小) マンゴーラッシーを洗濯機で作る

この洗濯機でマンゴーラッシーを作るジュガール的発想は私の知人のインド人の方に教えてもらいました。その方が子供だった頃、たまにお祖母ちゃんの家に行って皆でマンゴーラッシーを作っていたそうです。

大量の水分を一気にかき混ぜられるという機能は魅力的ですが、それをラッシー作りに役立てようとする発想は中々出てきません。

この方法であればラッシー作りを単なる作業だけに留めることなく、家族や友達と一緒に1つのエンターテインメントとして楽しめるユニークさもあると思いました。

(*5) : 3 Bizarre Indian Jugaads that Make us Truly Indians!

昼は通常の使用方法で自転車を使い、夜には畑に水を汲み上げるポンプとして使うこともできます。電気が届かない田舎の農家で灌漑する場合は、自力で田んぼに水を供給する必要があるので、自転車による水の汲み上げは体力温存の役割も果たすでしょう。

灌漑(かんがい)とは、主に農地や庭園などに水を供給し、植物の成長を促進するための水の供給方法を指します。自転車ポンプを使用する場合は、灌漑範囲にも限界があるため、大規模な農地には向かないかもしれませんが、リソースが制約されている状況下でのクリエイティブなアプローチとしては完璧です。

(*6): Hazaribagh’s farmer makes bicycle irrigation machine by ‘jugaad’ – Lagatar English

大) ISRO(インド宇宙研究機関)の火星ミッション

2023年8月23日にISROがチャンドラヤーン3号の月面着陸を成功させましたが、別の火星ミッションであるMOM(Mars Orbiter Mission)でもジュガール的な発想が駆使されています。

このような大規模なプロジェクトにおけるジュガールはコスト削減や効率の最大化という意味合いが強く、大きく分けて以下のような4つのトレードオフを実現しました。

  • 経済的な優位性のある打ち上げロケットの選択
  • 複雑な軌道経路を経ることで燃料効率の最大化を図る
  • 最低限の機能を搭載した小型ペイロードの採用
  • 最小限のテストを複数回行いミッションの早期打ち上げを可能に

私の感覚だと、宇宙ミッションのように精密なロケットが必要になる場面だと、なるべく豊富な機能を搭載した機器を使いたくなります。軌道経路を選ぶ際も、なるべく安全性が保たれている方を選択するかもしれません。

しかし、ジュガール的な思考でプロジェクトを進めているインドは開発コストも最小限に抑え、実際に月にロケットを着陸させました。チャンドラヤーン3号の開発コストは、なんと7400万ドル(およそ106億円)と言われており、アメリカのアポロ11号計画で月面着陸を果たしたサタンVロケットの費用10億6000万ドル(およそ1,400億円)に比べると10分の1以下の費用で達成したことが分かります。※サタンVロケットの費用は2023年のレートに合わせています。

また、『ゼロ・グラビティ―』や『オデッセイ』といった宇宙を舞台としたハリウッド映画よりも低予算で作られたということも注目を浴びる要因となりました。


(*7) : India shifted launch of its Chandrayaan – SpaceNews

大) Tataモーターズの自動車販売

2008年に世界で人気を誇る高級車メーカー、ジャガーを買収したインドのTataモーターズはこれまでの製造過程を一新し、消費者に手頃な価格で高品質な車を提供することに挑戦しました。

Ultra-low-cost car市場を狙って計画されたTata Nanoプロジェクトでは、特に以下のポイントでジュガール的アプローチが行われています。

  • 軽量で小型の部品の設計
  • よりシンプルな製造プロセスの採用
  • 地元の資源に連携させたサプライチェーンの最適化
  • インド国内における流通ネットワークの構築

当時、すでにインド国内市場で乗用車市場の半分以上のシェアを誇っていたのは日本のマルチ・スズキにおけるベストセラーモデルの『マルチ・スズキ800』で、2008年に発表されたTataの『ナノ』は約22万円という破格の値段で発売されました。

1台のバイクに家族がしがみついて乗ることが良くあったインドで、「一家全員がもっと安全に移動できる乗り物を作るべきだという」目的から始まったこのプロジェクトでしたが、まさにコスト削減と効率の最大化というジュガール的イノベーションを体現していると言えます。


(*8) : AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ) 〜 クルマを文化する 〜

4.ジュガールの注意点


ヒンディー語が話される北インドを発祥に、現代に至るまで様々な形のジュガール的発想がインドの経済や社会のシステムを創り上げてきたことは理解して頂けたでしょうか。

固定概念に捉われない、非常に柔軟な思考がインドにおけるイノベーションを推し進めているのは確かだと言えます。

しかし、このジュガールという概念には当然ながら不十分なところもあり、どのような点で気を付けるべきか知っておかなければ、今後の私たちの生活に取り入れることは難しいでしょう。

そこで、私が考えるジュガールの注意点を3つ程まとめてみました。その中には、十分な計画を練って実行する日本の良さも逆説的に見えてくることがあるかもしれません。

・安全性の懸念

1つ目に安全性という面では、即興で作り上げた、もしくは費用を最小限までに抑えた製品やサービスだと誤使用や故障のリスクが高くなります。

例えば、洗濯機でマンゴーラッシーを作る場合だと体内に菌を取り入れてしまう可能性があり、効率とコスト削減を重視して考えられたロケットだとミッションの失敗は愚か、不発による環境被害も予測しなければなりません。

また、サービスを提供する場合はサイバーセキュリティ―の脆弱性を抱えることも予期しておかなければならないので、安全面の対策は必要不可欠になります。

・持続可能性の問題

2つ目に持続可能性の問題がジュガール的アイデアには付きものだと思います。即座の解決という目的を大切にしている分、長期的な視野でみると、致命的な問題が起こることも多々あります。

特に、再現性の有無や需給バランスによる問題が生じる事態になりかねません。実際、Tataが行っていたNanoプロジェクトは初期の販売戦略で需要高と見込んだにも関わらず、予想に反し販売が伸び悩んだので、製造工場の稼働率の低下により2018年に販売終了になっています。

マーケティング予測や市場での差別化戦略など、持続性を求めるのであれば十分な計画が重要であるということです。

・品質の不確実性

3つ目の注意点としては品質の不確実性が挙げられます。ジュガールとはそもそも“限られたリソースで問題を解決すること”を意味する言葉なので、完成度を求めるのはお門違いのような気もしますが、最善の解決を求めるのであれば品質という点も軽視できません。

自転車を利用した給水ポンプにしても、最高の品質で考えると、人的労力すら要らない物が作れるかもしれません。ただ、即時的な問題を解決したからといって、品質を求めなくなることは注意すべき点だと言えます。

日本の完璧を求める考え方は、まさにジュガールと相反したアプローチが可能なため、お互いの弱点を補うという意味で、ジュガールの本質を知ることは私たちの生活の質を向上させる良い機会だと思います。

5.現代におけるジュガール役割


インターネットの普及により、急速な世界のグローバル化が進む現代で、ジュガールに見られる考え方はどの程度、重要な役割を果たすのでしょうか。

経済の目線で見ると、その役割は制約のある状況下で、効率的な解決策を見つけ、経済の発展に寄与するという部分が特に評価され得ると思われます。

特に企業や国家の成長、ましては人類の進化において、限られたリソースを上手く使うことは必要不可欠です。資金の制約、人材の制約、土地の制約など考えればいくらでも事例は出すことが出来てしまいます。

そういった中で、やはりジュガール的思考が上手いインド人は歴史的にも人類の発展に貢献してきました。情報技術の分野ではサティア・ナデラ氏(Satya Nadella)がクラウドコンピューティング・AIを革新的に推進し、宇宙分野ではヴィクラム・サラブハイ氏(Vikram Sarabhai)がチャンドラヤーン(月探査機)ミッションを成功させています。

また、社会的にもジュガールの考え方を駆使することで、地域コミュニティーの活性化や資源の再活用といった持続可能な価値の創造が増えることでしょう。

便利なものに溢れかえった今だからこそ、知恵を共有が経済的に貧しい状況も改善し、人間としての関わり合いを感じられる世の中を作るのかもしれません。

6.まとめ


本記事では、インド由来のジュガールという思考法について、具体的な実用例や取り入れる際の注意点を踏まえながら考察してきました。

正直、全く知らない言葉だったという人が大半だと思います。しかし、私の見立てでは近頃、日本のメディアでインドが注目を浴びていることもあり、“ジュガール”という言葉が徐々に浸透してくるのではないかと考えています。

もしそうなった場合、既にジュガール・マスターになった皆さんであれば、「あ~ジュガールね!俺、もう結構ジュガラーだよ」と言えるかもしれません。これがカッコイイのかどうかは分かりませんが…

私たち日本人は完璧主義的な考えになりやすい傾向があり、これは質の高い製品やサービスが提供出来るという良い点もあれば、決断や行動が遅くなるという悪い点も見受けられます。

従って、ジュガール的思考は日本人にとって弱みを克服する最適なマインドセットになることでしょう。今後、様々な産業でジュガールによるイノベーションが起こることを楽しみにしています。

※本記事の参考サイト一覧

(*1)Jugaad Innovation: Think Frugal, Be Flexible, Generate Breakthrough Growth – The World Financial Review

(*2) Live India Population Clock 2023 – Polulation of India Today (livepopulation.com)

(*3)Jugaad: A study in Indian ingenuity and improvisation | South Asia@LSE

(*4)インドに根付く創意工夫の精神「ジュガード」 イノベーションを生む6つの原則とは | ELEMINIST(エレミニスト)

(*5) 3 Bizarre Indian Jugaads that Make us Truly Indians! (rediff.com)

(*6)Hazaribagh’s farmer makes bicycle irrigation machine by ‘jugaad’ – Lagatar English (lagatar24.com)

(*7) India shifted launch of its Chandrayaan-3 moon lander to avoid space objects – SpaceNews

(*8)【画像ギャラリー】新車価格たった22万円! 世界に衝撃を与えた「タタ・ナノ」が参考にしたのは日本の軽自動車「三菱i」だった!? | AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ) 〜 クルマを文化する 〜

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